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#7 自己分析に「〇〇じゃない方探し」を加えて、自分のことをもっと好きになる

 

ルックスにコンプレックスを持つ人は意外と多い。

「人は外見じゃないよ?中身だよ?」

「そのままが美しいっ!!」

 

なんてことは僕は言わない・・・( ̄д ̄)

 

僕はルックス至上主義では決してないので、ブスだから、ブサイクだからどうこうとは微塵も思わない。

僕が思うのは、自分が自分を醜いと思っている時点で、その人自身は決して美しくないだろうなってこと。

おそらく、、

「ワタシってここのパーツが〇〇じゃない?」と聞かれれば「そうかぁ。おれは好きだよ」と答え、

「ワタシってブスだよね?」と聞かれれば「あぁ、ブスだな。間違いなくブスだわ」と答えるだろう。

 

それに、コンプレックスを感じている本人に、「それはコンプレックスになるようなことではない」という価値観を押し付けしたところで、永遠にかみ合うはずがない。

言葉の綱引きを楽しんでいるんだったら茶番に付き合うのはやぶさかではないが、本気で悩んでいるならぜひ自分としっかり向き合ってみてほしい。

そして、落としどころをきちんと見つけて疑問符を取り払い、イケメンなメンタルを装備して「これがワタシだ!ワタシはかわいいっ!」と宣言してほしい

 

今日は、自分との対話に役立つ「〇〇でない方探し」について提案するので、ぜひ取り入れてみてほしい。

 

コンプレックスを持っていることはチャンスだ

geralt / Pixabay

 

ルックスに限ることではないが、気づけているコンプレックスがあるのであれば、解消に取り組むほうが絶対にいい。

簡単に解消できるものほどいい。

人間なんて視覚情報が生活のほとんどを占める生き物だ。

外見の変化なんて、コンプレックスにもなりやすいだろうが、解消したときのインパクトはそれはそれは大きい。

たとえそれが本人にしかわからないような微細なものであっても、自分を満足させられるものは1個でも2個でも確実に積み重ねておこうっ

持っているコンプレックスには大きなものから小さなものまでたくさんのものがあるだろう。

ただ、対処すべき実態が見えるということは、対策もたてやすいということ。

目的は必ずしも欠点の削除には絞らない方がいい。

解決方法はたくさんあろうが、どんな結果であれ、自分のことを好きでいられる落としどころを目指そう。

 

目指すところ

僕は、自分が納得できるのであれば手段にはこだわらない派だ。

だが、パーツ気に入らなければすぐ美容整形いけやみたいな過激な選択はあくまでも最後だろう。

だって、顔だろうがスタイルだろうが、重要なのはパーツ単体よりも全体のバランスでしょ。

目をいじってどうこうとか、あご削ってどうこうなるようなもんじゃない。

自分も絵を描いて修正しようとして失敗するのはこのケースだ。

イソップ寓話の「ずるい狐」(参考にするならこちらどうぞwikipedia出典)・・みたいに、少しずつ弄る範囲が飛び火したら全身大惨事だ。

 

本当にやってほしいのは「自分との向き合い」なんだよねぇ。

目的はあくまでも自問自答をしっかりやって、改善するなり改造するなりして最終的には「自分が納得して堂々と自分を好き」になってほしい。

 

「〇〇ではない方」探しのすすめ

とにもかくにもまずは、自分をちゃんと見てほしい。

コンプレックス持っているときはただ嫌なだけかもしんなくって、自分のコンプレックスはここだっ!!ってことだけ思っているかもしれないけども、本当に問題はそこか?

他にもみなきゃいけないパーツはあって、代替手段はないのか?ってまじまじと自分を凝視してみてほしい。

そして、こんな極限に思い詰めているところ悪いんだが、ぜひ「〇〇でない方探し」をやってみてはもらえないか。

嫌いなところはわかっている。

じゃぁさ、「嫌いではない方」をあげてみないか。

 

ひとつ:

ふたつ:

みっつ:

・・・・・・

 

いくつくらいあった?

嫌いなところと好きなところを並べてみて、どっちが多かっただろうか。。

外見の・・・特にパーツ単体のみを見た時には、割とかわいいパーツもってないだろうか。

実際に、パーツ単体で見た時、人はそれほど変なパーツをもっていることはないんだよね。個体差もそれほどない。

特に多様化した現代、ほとんどのアイテムは結構かわいいか個性的と言い換えられることが多い。

おれ、自分の奥二重のちっちゃい目とかも、「マジかわいい、おれ♪」て思っちゃうもん。

パーツ単体でみたら結構悪くない。

 

で、悪いところを見て、そこだけ修正しよう!

というのは、ある意味近代的で合理的な考え方かもしれんが、何も物事の解決には引き算だけではなく、足し算の選択肢もあってよくはないか?

この場合、いいパーツを伸ばす。

全体との調和をとる。

みたいな。

 

 

そこまで見てみて、最終的に判断したものであれば、クリニックへどうぞ。

かな。

 

いずれにしても、自分の好き!を見つける「〇〇じゃない方探し」。

自分を見つめる時にはぜひお試しあれ。

 

美容整形について

二重

本筋ではないけども・・・、僕は美容整形ってただの外科処置でしかないと思ってる。

顔を別人に変えるレベルまでいくと、それこそ精神科に通う必要があるケースで、まず自己判断しちゃだめだろうな。

少なくとも友人か家族には打ち明けるがいいぞ。

 

一般的にはもう少しライトな、標準的な企画に寄せる程度でしょ。

物理的に除去したほうが圧倒的に簡単で早い、イボだったりシミとか瞼とかの整形。

骨削る大がかりなものでも、歯の矯正と感覚的には同じでしょう?

ちょっとした手術で後遺症残るかもしれないリスクなんて美容整形に限った話ではない。

メンタル障害は、時に機能障害をも凌駕してQOLを下げることなんてざらにある。

機能障害もないのに犯すリスクだろうが、リスクの価値観は人によって異なることはわかりきったこと。狭い価値観で自分を判断されてもな。。。

あとは、子作りの可能性があるのに意味の分からない薬剤を積極投入したり、命の危険にさらされる無茶なことさえしなきゃいい。

子供への外見的特徴の遺伝がどうとか、そんなコントロールできないものの心配をする意味も責任感を問うのも意味がわからない。

むしろ美男美女から美男美女が生まれるとは限らない。世の中、逆がほとんどだろうしな。

 

結果、僕は人がイケメンタルになるために、自分を見つめ、自らの意思で最良と思ったのが美容整形という手段だったとしてもそれは全く問題ないと考える。

その結果、「自分のことが好きになれる」というのが条件にはなるが。

 

まとめ

geralt / Pixabay

・自己分析に「〇〇じゃない方探し」を加えて自分のいいところを再確認しよう

・解決方法は一つにしぼらない。引き算だけではなく足し算も選択肢に含める

・到達目標は、自分を好きになること

 

自己分析はついついネガティブな方向にだけ目が向いちゃうけど、実はいいところのほうがたくさんあることに気づくチャンスでもある。

僕としては解決手段はなんだっていいんだと思っている。

ネガティブな問題がおこった時こそ、自分が自分をしっかり見つめる契機にしていけたらいい。

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